横浜正金銀行資料マイクロフィルム

第12期解題


東京大学 武田晴人

1.為替関係資料の概要

 第12期資料として公開するのは、主として頭取席為替課が作成し、為替関係として整理されていた資料群の一部である。為替関係資料は第2期にマイクロ化して公開した「正貨」関係89点、第6期の「生糸」関係47点という特殊な分類を付したもののほか、次のように分類整理されている。

為替1         210点、 為替2       50

為替管理1     47点、  為替管理2    70点、 為替管理3   62

為替部関係1   13点、  為替部関係2  57点、 為替部関係3 10

為替持高       32

為替集中       36

敵産管理       34

  合計600点を超える資料が、原資料の添付番号などを参考にし6種に分類されており、為替などに1,2,3などの添え字があるのは、これまでの資料解題でも説明したように、原系列の資料添付番号を識別し、別系列−−別時点で整理されたものと考えられるもの−−を区別したためである。

 第12期の公開分は、このうち「為替1」に分類されている210点ほどの資料である。

 具体的な資料の紹介に入る前に、まずは為替課の業務がどのようなものであるかを確認しておこう。1930年代前半の資料によれば、為替課の業務は次のように列挙されている。

1.為替方針、為替相場、為替出合、為替統制等為替ニ関スルコト一切

2.外貨証券ニ関スルコト一切

3.海外各店金融、借入金、Facility, Security 等ニ関スルコト一切

4.内地及海外各店為替尻利率等ニ関スルコト一切

5.内地各店利手利率ニ関スルコト一切

6.金、銀ノ積出、売買ニ関スルコト一切

7.外部ヘ発送スル電信ノコト

8.頭取席要録ニ関スルコト

9.為替基ニ関スルコト

10.為替管理ニ関スルコト一切

11.満州、北支、支那通貨、銀異動等ニ関スルコト一切

12.各店低利資金並ニ買手割引記帳ニ関スルコト一切

13.其他各国通貨、金、銀及金融機構、物価等ノ問題ニ関スルコト一切

14.為替動向、在外資金増減等ニ関係アル貿易、貿易外収支ニ関スル調査、解説及之ニ對スル意見ノ樹立等

15.其他内外諸種ノ問題ニ関スル資料解説又ハ意見等

16.以上ニ関聯セル官庁(大蔵省、對満事務局、外務省等)、日銀、新聞記者トノ応対、交渉

 外国為替取引は横浜正金銀行の主業務であるだけに、その業務の範囲は広く、ここに正金銀行が行った実際のオペレーションの記録が集約されていると言ってよいだろう。それぞれにかなり専門的な知識を必要とする業務であり、その内容を簡単に紹介することは難しいので、以下では収録した資料のいくつかを紹介して、解題に代えることにしたい。

* なお、「為替1」は右のように<為替1>と言うように、添付番号が振られているが、<為替5>が欠落している。撮影作業の便宜上、リスト上の枝番号は、この原分類の番号をそのまま採用しているため、欠番があることをあらかじめ注意しておきたい。

 

2.収録資料の紹介

 リストの最初にある1『独逸関係』2『泰関係』、3『南方関係諸通達(一般)(以下資料の前に添付番号の数値を記載する)は、いずれも1940年代前半の資料である。従って、ここから、<為替1>と添付番号を付した原系列の分類は、第二次大戦の末期に整理されたものと推測される。

 4『為替相場並出合為替参考書類』8『重役会用為替市況写』のように、為替関係の数値データが日時単位で記載された計数表が、この為替関係資料では極めて多い。同様の性格の資料は、ほかにも、次のようにものがある。

24『為替出来高及持高日報』(19388月〜4310)

51『対英米為替相場帳 No1(1886年〜93)

52『対英米為替相場帳 No2(1894年〜1901)

53『対英米為替相場帳 No3(1901年〜1909)

54『対英米為替相場帳 No4(1910年〜1923)

111『昭和十一年下半季 為替二関スル資料統計 第四輯(本邦対主要国貿易品別)

112『昭和十二年下半季 為替ニ関スル資料統計 第一輯(為替持高ニ関スル資料)

113『昭和十二年下半季 為替ニ関スル資料統計 第二輯(為替ニ関スル機密参考資料)

114『昭和十二年下半季 為替ニ関スル資料統計 第三輯(為替相場其他雑参考資料)

115『昭和十二年下半季 為替ニ関スル資料統計 第四輯(本邦対主要国貿易品別)

116『昭和十二年下半季 内地主要銀行ノ諸勘定尻』

117『昭和十三年上半季 為替二関スル資料統計 第一輯(為替持高ニ関スル資料)

118『昭和十三年上半季 為替二関スル資料統計 第二輯(為替ニ関スル機密参考資料)

119『昭和十三年上半季 為替二関スル資料統計 第三輯(為替相場其他雑参考資料)

110『昭和十三年上半季 為替ニ関スル資料統計 第四輯(本邦対主要国貿易品別)

120『昭和十八年度臨時営業年度 為替ニ関スル資料統計 第一輯(為替持高及取扱高ニ関スル資料)

 このうち5154は創業期にさかのぼった相場表であるが、形式が長期に一貫し、関東大震災まで4冊に分けてまとめられていることから、震災による資料の焼失の欠を補うために関東大震災後に作成されたものではないかと思われる。

 111120の資料は「為替持高」「為替関係の機密情報」「相場その他参考資料」「貿易」に関する資料が4分冊で半期ごとにまとめられている。詳細な資料であり、形式から見て半期ごとに継続して作成された可能性がある資料であるが、残念ながら、表記の10点しか見出すことができなかった。

 8『為替管理関係参考書類』では、「為替課参考用として」作成された貿易概況の報告のほか、19399月から10月にかけて頭取席為替課が内地各店支配人宛に送った「時局ニ基ク為替取引上ノ障碍ニ関スル件」と題する報告などが綴られている。

 15『雑 参考書類』では「関係当局 の極秘依頼ニヨリ」との差し紙のあとに「南方事情メモ」(昭和1612月〜173)と題する頭取席為替課の資料がある。これには「香港」「蘭印」「泰国」「英領ボルネオ」「緬甸」「馬来」「葡領チモール」「グアム島」「ウエイク島」「ミドウエイ島」「豪州」「比律賓」「ニューカレドニア」「ニュージーランド」の地域ごとに順次作成されたもので、各地域の貨幣制度、金融事情、外国為替、貿易状況などがそれぞれまとめられている。右の写真のように、タイプ印書で400頁を超える大部の資料であるが、太平洋戦争開戦・南方進出という現実に直面し、それらの地域での活動の拡大を想定して地域情報を発信し、各支店に周知させようとしたものと思われる。

 

 36-39は日米及び日英の『円為替維持協定』に関する書類であるが、そのなかで興味深いのは「東京為替会」に関する資料である。これについて、『横浜正金銀行全史』第3巻の当該年度に関係記事は見当たらないようであるが、綴り込まれた文書によると「東京為替会」とは「大正十三年外国為替銀行間ニ於テ業務上ノ連絡、協調ノ目的ヲ以テ組成セルニ始マリ爾来外国為替取引上統制的取扱ヲ自主的ニ申合セ多年実行力アル自律的機関トシテ大蔵省モ認メタルモノニシテ殊ニ一志二片堅持方針依頼當局ノ直接折衝ノ對象トナリ政府為替政策ノ諮問ニ應ズルト共ニ當局ノ意ヲ體シ為替統制上充分ノ機能ヲ発揮シ来レリ」と説明されており、戦時体制の深化とともに外国為替関係法令が改正されるに従い、これに沿った措置を迅速に実施する機関となっていたという。19383月現在の会員は、朝鮮銀行、横浜正銀行金、台湾銀行、第一銀行、第百銀行、野村銀行、安田銀行、三和銀行、三井銀行、三菱銀行、住友銀行(なお1943年には第一、第百三井が銀行合併などの関係で消え、帝国銀行、東海銀行が加わっている)であった。

 活動の内容を知るために、1938322日の東京為替会の申合せを例示すると、次のようなものであった。

  記

為替相場ニ関スル昨年八月二十一日外国為替銀行申合セト同主旨ニ基キ、右協定追加申合中対米為替ニ付左ノ通リ申合ヲナシ昭和十三年三月二十三日ヨリ実行ノコトニ一致セリ。

  申合事項

北米合衆国向為替相場ニ付其ノ最低相場ヲ左ノ如ク協定ス

第一、現物

 一、電信賣相場ハ前日ノ北米クロス大引相場ヨリ對英一志二片ニテ裁定シタル相場ニ拠ルコト、右相場ニ關シ相場ノ刻ミハ原則トシテ1/16トシ端数ハ切捨計算スルコト

 二、米英クロスニ激発アル場合ハ右ニ拠ラサルヲ得ルコト、但シ此ノ場合ニ於テハ大蔵當局ノ承認ヲ得ルコト

 三.参着拂送金手形ノ賣相場ハ電信賣相場ト同相場トスルヲ得ルコト

 四.電信買相場ハ電信賣相場ヨリ1/32高トスルコト(此ノ場合ノミ1/16刻ミノ例外トスルコト)

 五、一覧拂手形ノ買相場ハ電信賣相場ヨリ1/8高トスルコト

 六.期限付手形ノ買相場ハ・・・・(以下、略す)

第二、先物

 一.電信及参着拂送金手形賣相場ハ

  (1)本年四月末日迄ハ・・・(以下、略す)

  (2)本年五月一日以降ハ・・・(以下、略す)

  (3)受渡期カ第四月應當日以降ノモノハ・・・(以下、略す)

  (4)受渡期明確ラナサルトキハ・・・(以下、略す)

 二.電信及手形の買相場ハ其ノ各ノ受渡期ノ電信賣相場ヲ基準トシ現物ニ於ケルト同率ノ開キヲ附シタルモノニ拠ルコト、但シ前項第四號ノ如キ場合ハ該豫約受渡月ノ最初ノ日ヲ以テ受渡日ト認ムルコト

第三,其ノ他

 一.銀行間取引ニ於ケル電信買相場ハ前記基準電信賣相場ト同相場トスルヲ得ルコト

 二.資金調整ヲ目的トスル銀行間乗換取引ニハ妥當ナル開キヲ認ムルコト、但シ近物賣相場ハ前記基準賣相場以下トスルヲ得サルコト

昭和十三年三月二十二日

 以下署名(朝鮮、横浜正金、台湾、第一、第百、野村、安田、三和、三井、三菱、住友)

    

  申合覚書

為替相場ニ関スル昭和十三年三月二十二日附左記為替銀行申合ニ付左ノ通リ覚書ヲ追加ス

一.電信賣相場ノ基準タルベキ米英クロスハ横濱正金銀行紐育支店電報(紐育休日又ハ萬一一日米間電報ニ故障アリタル場合ハ同行倫敦支店電報)ニ拠ルコト

二.別紙申合中賣為替相場ノ先鞘及買為替相場ノ開キニ付後日變更ヲ要スルガ如キ事情起リタル場合ハ改メテ協議決定ス

三.第一、六ノ(2)(F)ニ取極メタル「當分ノ内」ノ期間決定ハ日本銀行ニ一任ノコト

昭和十三年三月二十二日

 以下署名

 

 協定の内容は、為替取引に関するカルテル協定と評価することのできるものであるが、当初の自主的な協定の性格は日中戦争期に失われ、英米為替の維持のために政府・日本銀行の判断に従って為替銀行間の競争を排除するものとなっていたようである。

 「申合」の前文にある「為替相場ニ関スル昨年八月二十一日外国為替銀行申合セ」については、『横浜正金銀行全史』第4(353)に「為替銀行間の相場協定」として、1937823日に「正金ほか10行の為替銀行(朝鮮・台湾・第一・第百・野村・安田・三和・三井・三菱・住友)が日本銀行の斡旋により「対英相場を具体的に協定し,その他の通貨為替は各行が合理的にこれを定めること」、「対英電信売相場を最低1円につき1シリング2ペンスとすること」などを協定したと記している。協定の日付が2日ほどずれているが、この対英相場協定が先行し、上記引用対米相場協定につながったものと推測されるが、ここでも『横浜正金銀行全史』では「東京為替会」という名称についてはふれていない。

 従って、東京為替会については不明な点も多く、前述の「当初の自主的な協定の性格」というのは筆者の推測に過ぎない。このような為替銀行間の協定が上記のように1924年ころから存在したとすれば、その背景には関東大震災後の円為替暴落という相場変動へ対処する切削的な必要が生じていたことを想起しなければならないだろう。しかし、そのような相場激変に対処するための厘尻組織であったのか、それともその後も引き続き正金銀行による円相場維持のための市場介入などに関係し続けていたのかは、改めて資料の内容などを広く探索する必要がある。もし組織的な為替相場協定が存在したとすれば、昭和恐慌期のドル買いなどの問題に関連して、東京為替会がどのような役割を持ったのか、あるいは全く機能していなかったのかなど興味深い論点になるのではと思われる。

 

 次に45-48『重役会用為替市況写』に注目しよう。この資料は表題の通り、重役会に為替課が提出した参考資料の一つと考えられる。日中戦争開始前の19371月から戦争末期の1944年まで連続して残っている。また、番号が飛ぶが109『重役会提出 市況並ニ相場表』はこれと連続する資料と思われる。

 その中には1937年度初めに大蔵省に提出された資料として次のような見通しがまとめられている。

(1)昭和十二年度貿易及貿易外収支本行豫想ニヨレバ

   貿易入超豫想額      \  370,000,000

      貿易外収入予想額     \ 100,000,000

          差引入超       \ 270,000,000

  即チ本邦国際貸借上約二億七千萬圓ノ不足ヲ生ズルヲ以テ全年ヲ通ジテ之レ丈ケノ額ニ對シテハ是非共金現送ヲ必要トスルモノナリ

(2)然シナガラ本行英米両店金繰豫算ニヨリ差當リ緊急現送ヲ要スルモノハ

   英米両店金繰豫算ニヨレバ(四月十日)

      四月中資金不足      \ 13,680,000.-

      五月中資金不足      \ 75,790,000.-

      六月中資金不足      \ 63,860,000.-

      七月中資金不足      \ 55,790.000.-

        合計 不足      \209,120,000.-

 ナリ、今之ニ第一次現送金\55,000,000.-を繰入レテ計算スレハ

      四月中資金過剰      \ 41,320,000.-

      五月中資金不足      \ 34,470,000.-

      六月中資金不足      \ 63,860,000.-

      七月中資金不足      \ 55,790.000.-

        合計 不足      \154,120,000.-

 トナルヲ以テ差シ當リ

      四月中          \ 35,000,000.-

      五月中          \ 64,000,000.-

      六月中          \ 56,000,000.-

        合計           \155,000,000.-

 ノ現送スレバ七月末迄ハ兎モ角モ賄ウコトヲ得ベシ

 

 これが日中戦争が開始される年の前半期の見通しであった。国際収支の決済のために金現送が必要となり、正金銀行の重要な業務の一つになったことはよく知られているが、それらはこのような状況認識のもとで逐一取り組まれていった。上記の資料は、第一次現送を既定の方針としているが、5500万円と少額であることから、193739日に政府が実施した第一次金現送の前後に、政府・日本銀行・正金銀行の協議の場に提示された資料ではないかと考えられる。すなわち、『横浜正金銀行全史』第4(351)によると、「正金は貿易の趨勢ににかんがみ、また、英米両支店の金繰り予算に照らし、つとに金現送の実行を当局に勧めてきたが、・・・(中略)・・・とりあえず上述の第一次現送を行ない、そのあと大蔵省、日本銀行ならびに正金の間に累次の会合を開き、(1)当年中における本邦の国際収支、(2)当年中における正金の在外資金状況、(3)向後の金現送、の3項目を主眼として検討協議した」とされているからである。

 この『重役会用為替市況写』(写となっているのは、この書類が重役会に提出された資料の控えであるからであろう。但し、受け取った側の重役会に関係する資料群には該当する物は残されていない)は、日中戦争期から太平洋戦争末期まで、比較的長期にわたって残っている貴重な資料であり、その時点その時点での正金側の情勢認識を伺うことができるものと考えられる。

 112『大蔵省日銀其他報告 各地向及各地ヨリノ為替相場写』113『大蔵大臣官邸会合説明資料』114『大蔵大臣官邸会合説明資料 重役分』115『大蔵大臣官邸会合説明資料 材料』は、興味深い表題であるが、残念ながら19365月から3772日までの会合に関する資料にとどまる。内容的には、貿易為替状況についての正金銀行側からの説明、情報提供に基づく意見交換の場と推察されるが、このような会合がこの時期に限定的に開催されたとは考えにくいので、前後の資料が見いだせないのが残念である。しかし、時期的に見れば、226事件後の準戦時体制への移行期にあたり、急激な輸入超過が重大な問題になった時期だけでに貴重な記録ということになる。なお、付言すれば、前述の金現送にかかわる「大蔵省、日本銀行ならびに正金の間に累次の会合」の資料の可能性はあるが、この点は確認できていない。

 貴重な記録という点では、127『統制売ニ関スル書類』も同様である。この資料は、昭和恐慌期のドル買いに対抗した正金銀行の「統制売」を中心として、為替維持のためにとった措置が記録されている。山崎広明「「ドル買い」と横浜正金銀行」(山口和雄・加藤俊彦編『両大戦間期の横浜正金銀行』日本経営史研究所、1988)において、どのような金融期間・企業がドル買いに参加していたのかについての実態が明らかにされ、三井銀行*に対する「ドル買い批判」が濡れ衣に近いものであったことは、研究者には集置のことであろう。本資料は、そのもととなったデータが収録されている。山崎論文では19307311210日までの期間について、二期に分けて買い手の構成と金額などが示されているが、本資料では月別のドル買いの実態を明らかにすることができる。受渡月別でみると、右の図のように、Ntional Coty Bank のシェアが一貫して圧倒的に大きいこと、三井銀行はイギリスの金本位制離脱後(19319)にドル買い取引を活発化したことなど、山崎論文の主旨に沿った事実を確認することができる。山崎氏が閲覧利用した資料は、統計数値の期間が異なるなど本資料とは別のものではないかと考えられるから、この『統制売ニ関スル書類』は、より詳細な検討に道を拓くものではないかと考えることができよう。

 このほか、128『業務資料(輸出関係)129『業務資料(輸入関係)は当時の貿易取引事情などを知ることのできる資料綴りである。また、198『特綴込 1 極秘』196『特綴込 2 極秘』は「極秘」との表記に目がとまるものであるが、193435年頃の各種の文書、数表などが綴られている。201204『為替課長要録』(其一)を欠いているが、1932年から35年にかけての為替課の「要録」として重要な文書(支店との往復文書など)がまとめられている。頭取席要録などと同様に参照すべき重要な資料を綴ったものであり、参照に値する文書資料のようである。

 

3.おわりに

 やや断片的な資料の紹介になったが、以上のような諸資料を含むのが第12期に公開される為替課資料のうち「為替1」と分類された部分の資料群である。いずれも新しい発見に満ちた資料群であり、すでに公開に供されているさまざまな関係資料とつきあわせることによって実り多い成果が期待できる。なお、後続する為替関係の資料についても順を追って公開していきたいと考えている。

 最後に、これまでの資料解題でも述べたように、収録にあったっては、個人のプライバシーなどに配慮すべき点は配慮し、歴史的な事実として公開しうる範囲に限定して、研究目的の学術資料として公開するという原則をまもることを指針としてきた。これは、貴重な資料を寄贈しマイクロフィルム資料として公開することを認めてくださった原所蔵者である東京三菱銀行(現三菱東京UFJ銀行)の強い要請でもある。このような学術研究にとってかけがえのない資料を公開するためには、利用する研究者の側も遵守すべきルールがあることを、私たちは片時も忘れるわけにはいかない。そのことについては、繰り返し注意を喚起し、また、そうした明確なルールに基づいて資料が利用されることによって、今後一層の資料の保存・公開が可能になるということを、本資料の利用者の皆さんに特にお願いして、解題の筆を擱くことにしたい。

                                                      2016116日記