横浜正金銀行資料マイクロフィルム第10期解題東京大学 武田晴人マイクロフィルム版横浜正金銀行史資料の第10期は、本店関係の分類の異なるいくつか資料群から構成されている。そのなかには、関東大震災以前の資料が含まれているという点で、昭和戦前期のものが中心の本資料の中では特徴がある。主たる収録資料は、第一に、大分類部で「経営」に含まれる「支配人席書信」、第二に「通達」のうち@「諸通達」、A「内規」であり、このほかすでに公開が進められてきた資料のうち決算の「半期報告」の追加資料、「諸官衙」の追加資料、営団関係資料などである。 1.経営−支配人席書信(10-05,10-06,10-07)
この分類の資料は頭取席秘書部でまとめられたと考えられる書信の綴り、128点である。冒頭にあるのは、昭和5年以降の秘書部の引継書類であり、所管する重要事項の要点がまとめられている。これに続くのが、明治38-39年の「各部宛公信及び雑信」であり、途中欠落があるが、さらに大正4年以降の頭取席からの発信のコピーの綴りが続く。この中には正金銀行井上準之助から日本銀行宛の書面などが含まれている。震災で横浜本店が被災しているから、これらの書類が被災を免れたものかどうか確かではないが、形態からすれば、偶発的に免れたものと推測される。後述する通達・内規などのこの時期の資料は、本店ではなく支店の印が押されているものがあり、それらは資料の再建のために各店舗から集められたと考えられるのに対して、このコピー帳は当時使われていた薄紙のコピー帳であり、それらが支店等にも配置されたとは考えにくいからである。 また、支配人席書信1に含まれる「参考資料」には、検査課による「本店検査報告」などの重要書類も綴られている。大正13年5月の貸付及割引係の検査報告では、震災直後であったことから、次のように説明されている。
貸付及割引係(五月一日ヨリ同一四日迄) 当係管掌ニ属スル手形、小切手、契約書、その他重要ナル諸書類ハ震災ノ為当時逸早ク地下大金庫ニ収納シタメ為メ全部焼失ヲ免レ又タ割引手形仮払金ニ関スル諸帳簿、別約当座担保品ニ関スル諸帳簿、生糸在庫品明細帳、印鑑簿ハ見習星野一郎ノ身辺危ニ拘ラズ三度迄モ地下大金庫ニ搬入シタル勇敢ナル行動ニヨリ焼失ヲ免レタル事ヲ茲ニ報告スルハ誠ニ欣快トスル次第ナルガ其他ノ帳簿ハ営業室鉄庫ニ納メ得タメ為メ遂ニ焼失シタルハ實ニ遺憾ニ堪エズ 貸付金 貸付金ニ関スル帳簿ハ焼失シタルヲ以テ早速頭取席ヨリ嘗テ提出シ置キタル大正十二年七月三十一日現在、貸付金残高内訳表写ノ送付ヲ受ケ之ヲ基礎トシ尚総勘定元帳ニヨリ八月中九月一日ノ出入ヲ確メ焼失ヲ免レタル手形及所掌書類ト突合セ新帳ヲ作成シタリト云フ・・・(検査係「本店検査報告」大正十三年五月、その一)
このほか、「支配人席書信2」に分類される雑要書類では、紐育支店の損益の試算の報告があり、昭和4年下期のそれによれば、同期の半期268千円とされている。この金額は、大正15年上期28千円、昭和元年下期282千円、同2年上期392千円、下期1037千円、3年上期134千円、下期147千円(以上利益)であり、4年上期は820千円の損失であった。細かなことだが、昭和4年上期にニューヨーク支店でこれだけ大きな損失が出た理由は検討の余地のある興味のある事実であろう。これらについては、同じ時期の「紐育支店営業検査報告」(後述)を読み込むことである程度明らかになると考えられる。
2.決算の半期報告
この資料4点は、第1期、第5期にマイクロ化した資料群に接続するもので、他ノ資料に紛れていたために撮影が洩れたものである。 3.諸官衙(12-04,12-08)
これも追加された資料群であるが、12-04諸官衙関係追加44点は、主として戦時期の貿易統制に関連する資料群と推定されるもので、日本銀行や大蔵省などからの指令等を含んでいる。それ故、たとえば、戦時金融金庫に関する綴りは、金庫それ自体の金融活動を示す資料というよりは、金庫設立に関連した大蔵省からの説明資料などを主としてまとめたものとなっている。その冒頭には、昭和17年3月16日付けの頭取席内国課から各店の支配人席、主任席に宛てた文書で、戦時金融金庫の概要について「大蔵省ノ説明有之候ニ付御参考迄別紙送付申上候」との送り状がついたものである。戦時金融金庫は、この年2月19日に公布された戦時金融金庫法に基づいて4月18日には発足することになったから、この法制定から発足までの間に、新金融機関について周知を図ったものであった。同金庫との関係で問題になったことがらの一つは、この資料によると、戦時金融金庫債券の発行に際して横浜正金銀行も引き受けに参加するかどうかという問題であった。この点についての大蔵省とのやりとりの記録などもここには含まれている。なお、この「諸官衙追加資料」の中にも明治期の資料が1点含まれている。
諸官衙のもう一つのまとまりは営団関係12点で、これは台湾重要物資営団、交易営団食糧営団、重要物資管理営団などの資料であり、中心は交易営団のものである。 4.諸通達および内規(13-04,13-05)
頭取席などから発信される文書は「頭計達」「総計達」などの分類記号に即して連番を付されていたようであるが、それらの発信書類をまとめたのが「通達」としてここにまとめられている。
このうち諸通達65点の冒頭にあるのが「通達索引」で対象期間は明治36年から大正13年である。この綴りは、この期間中の「営業関係ノ通達全部ヲ文書課保管ノ控ニ拠リ年月日順ニ列記」したものであると説明されている。編纂の時期から見て、関東大震災後に焼失書類などの不備を補うために作成されたものではないかと推察されている。索引とはいえ、内容に簡単な説明が付されているものもあるから、この索引だけでも十分に正金銀行の経営動向を知ることができる。たとえば震災直後の大正12年10月3日には文330号で内地各店宛てに「高田商会震災ノ損害巨額ニ付信用取引緊縮ノ事」が通達されている。また、同年12月から翌年春にかけて鈴木商店についても注意を喚起しており、鈴木商店の中国内の取引を大連に集中することを指示していたり、「鈴木商店紐育支店内情困難ノ事」などを通知している。これらの事実を他の資料などで裏付けながら、鈴木商店を正金銀行がどのようにみていたかを考察することは、未解明の問題に光を当てることができるのではないかと期待できる。
このような通達が総覧できるような文書は、本資料中には、「頭計達公信」「総計達公信」「訓達録」などの形で各種見出される。 このうち、「訓達録」は明治末期のものである。ただし、この資料には神戸支店の印が押されていることから、一連の資料が事後的に本店に蒐集されたものと推測されるものである。訓達録の第一巻の「緒言」には、この資料が編纂され活版印刷された事情が次のように説明されている。すなわち、「此書ハ明治三十九年三月男爵高橋日本銀行副総裁本行頭取兼任以来人事上并ニ営業上ニ関シ各店ニ対シテ訓達セラレタル公文ヲ集録シ以テ参照ノ便ニ供スルモノナリ/此書ハ謄写ニ代ヘテ印刷ニ付シタルモノニシテ其事多クハ本行ノ秘密ニ係ルヲ以テ最モ慎重ニ取扱ニ決シテ散乱他ニ洩ルルカ如キコト無キヲ期スヘシ/此書録スル所ノモノハ之ヲ人事ト営業ノ二門ニ大別シ各其年月ヲ遂ニ類集シタルニ過キス故ニ求ムル所ノ事柄ニシテ此ニ無キモノアレハ彼ニ就テ之ヲ索ムヘシ」という。高橋是清の頭取就任が行内の文書のあり方を変える契機になったものと考えられよう。この趣旨からこの資料は、手続規定など詳細にわたるものが収録されており、前述の索引とは異なって通達等の本文を読むことができる貴重な資料である。
通達本文がみられるのは、このほか「同文達綴」などであるが、これらの綴りには、第一次大戦期の商社設立ブームを反映して、大正7年10月8日付けの総務部からの「総計達116号」で、取引先債権勘定表について、この月から久原商事、森村商事、古河商事、三菱商事を追加することを通牒している。これによってそれまでの三井物産、茂木合名、大倉商事、岩井商店、兼松商店、野沢組、中外貿易、原合名などに加えて重要取引先として取り扱うことが指示されたことが知られる。
通達は、経営方針の伝達というだけではなく、さまざまな情報の交換の意味も持っていたようであり、従って、計数についての情報も含まれている。その一例が下表の本邦貿易と本行取扱高に関するものであり、主要品目別の計数が毎月、作成され発信されていたようである。
以上が第10期の公開資料である。すでに記したように、多くの資料が研究者の分析のメスが入るのを待っている状況にある。いずれも新しい発見に満ちた資料群である。公開の事業もかなり進展し、第10期で経営関係などの資料がおおむねマイクロかが終了した。残っているのは、本店の為替部、計算部、外国部などの資料、調査部の調査資料、第6期に中途で中断している支店の来信、そして横浜正金銀行史編纂関係の資料となった。これらについても順次公開のための作業を進めたいと考えている。 最後に、これまでの資料解題でも述べたように、収録にあったっては、個人のプライバシーなどに配慮すべき点は配慮し、歴史的な事実として公開しうる範囲に限定して、研究目的の学術資料として公開するという原則をまもることを指針としてきた。これは、貴重な資料を寄贈しマイクロフィルム資料として公開することを認めてくださった原所蔵者である東京三菱銀行(現三菱東京UFJ銀行)の強い要請でもある。このような学術研究にとってかけがえのない資料を公開するためには、利用する研究者の側も遵守すべきルールがあることを、私たちは片時も忘れるわけにはいかない。そのことについては、繰り返し注意を喚起し、また、そうした明確なルールに基づいて資料が利用されることによって、今後一層の資料の保存・公開が可能になるということを、本資料の利用者の皆さんに特にお願いして、解題の筆を擱くことにしたい。
2014年12月25日記 |