横浜正金銀行資料マイクロフィルム第八期解題東京大学 武田晴人
マイクロフィルム版横浜正金銀行史資料の第8期は、太平洋戦争期の「南方」所在支店関係の資料である。支店関係資料については、地域ごとに分類され、順次マイクロフィルムでの公開を進めているところであるが、今回は、東南アジア地域を中心にした支店が対象となる。この地域に関しては、正金銀行時代の分類と思われる「南方 **」という添付票が付されている。この添付票については、第7期の解題でも解説したのでここでは省略するが、「南方」の添付票にも2系列あり、分類「南方1」には原系列で1から142までの139点(添付番号35,91、105が不明)が整理されている。なお「南方91」は『交換船綴』であったことが古い資料目録からわかっているが原本は見出していない。 また「南方2」には別系列の添付票「南方」(整理部と付記された添付票)が付されている資料1から50までの33点(同じく、1〜3,6〜8,15,16,25,27,30,35〜40が不明)が整理されている。さらに「南方3」には、内容的に「南方」に分類するのが適当と思われるものがあり、それらのなかには「タ」「フ」「イ」「マ」「シ」などの添付番号があるものが見出される。それぞれ、タイ、仏領インドシナ、東インド、マニラ、ジャワなどの知名と関連づけられた符号であることは資料タイトルから確認できる。番号の付き方から見ると前後に相当数の資料があったと推測されるが、残念ながら連続した番号で資料の原系列を復元することはできず、わずかに25点が残っているだけである。なおこれらのうちには、上記の原系列の飛び番号を埋める資料が含まれている可能性もある。こうして3つに区分された資料が合計197点が今回公表される資料となる。 資料の全容を解説する準備も余裕もないので、何点かの資料を紹介することで、その一端を示し、「南方」関係資料についての解題に代えたい。 「南方1」の冒頭にある資料『泰国軍費関係』と題する資料は、上記の旧分類でも「南方」の1という添付番号のある資料である。この書類綴りは、昭和17年12月29日づけの横浜正金銀行頭取席為替部次長石黒九五から大蔵省外資局為替課長東條猛猪宛ての「泰ニ於ケル帝国陸海軍費決済ニ関スル件」との件名の書類で始まっている。 泰ニ於ケル帝国陸海軍費決済ニ関スル件 本年七月以降六ケ月間ニ於ケル掲題軍費協定額総計四千五十萬圓ハ帝国陸海軍省ヨリ送金アリ次第弊行盤谷支店ニ於テハ當該送金為替ヲ支払ヒ同店ニ於ケル陸海軍預金勘定ニ當該銖額貸記ノ上依ツテ生スル圓為替買持ヲ為替集中機構ニヨリ百圓ニ付七五士丹ノ手数料ヲ付シ泰国銀行局ニ付換ヘ當該圓貨額ヲ日本銀行ニ於ケル泰国特別圓勘定ニ振込ミ相當銖貨受取ノ方法トナルベキモノト了解致居候処帝国大使及泰国政府間ニ於テ泰国政府ノ申出ニヨリ左ノ通リ取極相成候趣弊行盤谷支配人ヨリ電報通知有之候 一 軍費支弁ノ為メ銖資金必要ナル時横浜正金銀行ハ何時ニテモパーニテ特別圓ヲ売却スルコト 一 第二次軍費信用協定使用高モ同一方法ニ依リ決済ノコト (備考)右ニ依レバ為替集中トナラズ協定第三條準用ノ形式トナルモ手続簡易化ノ為メ泰側希望セリ。[・・・以下略す] 見られるとおり、「大東亜共栄圏」へと経済的な支配領域が拡張していくなかで、現地での軍事行動等にともなって必要となる支払いの原資を現地の陸海軍に送金する手続きについて、横浜正金銀行が盤谷支店を介してタイ政府の銀行局と連携して実行していたことが明らかとなる。 こうした送金業務は太平洋戦争期の正金銀行の主要な業務であったと考えられるが、マニラ支店の記録「南方1の40」にある『馬尼拉支店 (一)』は上記タイの軍費払いの関連資料より早い昭和16年11月から始まっている。その綴りに付されている検索のための一覧によると次のような遣り取りが記録として残されている。 昭和16年11月10日 馬尼拉宛発電 東京支店依頼ニ付電報ス 海南産業・・・ 昭和16年12月4日 馬尼拉支店ヨリ 当店向貴店輸出為替取立代リ金ノ件 昭和17年1月11日 馬尼拉支店ヨリ 柏木副頭取宛山本恒男殿書信 昭和17年1月28日 大蔵省へ 馬尼拉方面最近の情況ニ関シ 昭和17年2月4日 原口殿へ 比律賓向当行利付為替手形取立手形為替相場ニ関する件 ・・・・ 昭和17年2月24日 マニラ支店宛 馬尼拉、本邦間取引整理ニ関スル件 ・・・・ 昭和17年3月2日 山本殿宛 為替部ヨリ、南方開発金庫法 其他ニ就テ 貿易取引に関連すると考えられる為替送金等の通常の業務のほか、これまでの支店報告にもしばしば見られたように、支店所在地の状況報告書などが含まれており、他方で本店からは南方開発金庫など政府の方針などの情報が送られていた。これらの記録を追うことで「大東亜共栄圏」の経済実態が貿易金融の窓口から明らかになっていくものと思われる。 平時の状態との差が小さいマニラ支店の初期の記録と異なって「南方3の16」『東印度各店(一)』では、正金銀行の業務が軍事行動とともに否応もなく拡大して行く情況も垣間見える。すなわち、この綴りでは、まず昭和17年3月26日付けの「ジャバメモ第二号」によって、ジャワへの進駐に併せて正金銀行の行員が派遣されることとなり、その打ち合わせの記録から始まっている。「ジャバメモ第二号」となっているから、「第一号」もあったはずだが、綴られてはいない。 さて、この二号の「出発日取資金其他ノコト」では、3月25日に正金銀行側から3名が陸軍省経理局主計課に出頭して、正金銀行行員の現地ヘの出発の日取り、身分証明書の扱い、資金などについて聴取した内容が記録されている。このうち日取りについては、4月3日に乗船の予定が後日の打ち合わせで変更されることになる。また、資金については、@4月1日から対蘭印送金を許可する方針であること、A一人につき1000円、現地在住者への送金は月500円、B銀行の資金については、軍の方針として「(イ)百萬盾位ヲ半ケ年据置キノ預託トスル當初ノ方針デアツタガ、(ロ)現在では資金所要ノ場合適宜考慮スルヨウ現地ヘ指示シテアル」とのことであった。かなり柔軟な対応がなされるとので「不自由はない」との説明を受けて正金側は引き取っている。このほか手荷物の量についての打ち合わせがあったことなども記録されているが、こんな小さな出来事の中に、正金銀行がその貿易為替業務によって培った経験によって軍の行動に追随して各地に進出していく様子が明らかになっていく。改めて確認することではないが、こうして正金銀行は、国策遂行機関として陸海軍の戦線の拡大とともに各地に金融網を構築することを求められていった。 こうした占領地域を含めた金融対策については、「南方2の33」の『南方通貨金融対策』や「南方2の22」「23」の『敵性銀行接収関係(一)』『敵性銀行接収関係(二)』などの資料が手かがりを与えてくれるようである。前者では、「南方占領地域ニ於ケル在来通貨ノ全面的回収ニ関スル件」という資料が目につく。その内容は以下の通り。 南方占領地域ニ於ケル在来通貨ノ全面的回収ニ関スル件 判決 南方占領地域ニ於ケル在来通貨ノ全面的回収ニ付テハ結局ニ於テ之ヲ実行スヘキコト論ナキモ同地域ノ通貨金融並ニ廣ク経済及治安ノ現況ニ鑑ミルトキハ今直チニ之ヲ実行スルノ積極的理由薄弱ナルノミナラス本件実施ニ伴フ前後処理問題、各般ノ摩擦等ヲ勘案スレハ総力ヲ戦勝ノ一途ニ集中動員スヘキ決戦下ニ於テハ不急ノコトニ属スルモノト思料セラレ暫ク実行ヲ差控フルヲ適策ト認ム、但シ本問題ノ重要性ニ鑑ミ更ニ研究ヲ進メ事態ニ処シ遺憾ナキヲ期セントス 理由 一 本件ニ関スル積極説ノ論拠左ノ如シ (一)通貨打歩ノ解消 (二)退蔵在来通貨ノ公債又ハ長期預金ニ依ル凍結 (三)対敵執着心ノ一掃 (四)敵側通貨謀略ノ防止 (五)敵軍反抗ニ際シ発生スルコトアルヘキ接敵地区ニ於ケル南発券価値ノ動揺ノ防止 然ルニ此等ノ論拠ハ以下述フル如ク何レモ充分ナリト認ムルヲ得ス (一)馬来地区ニ於テハ南発券ニ対シ時ニ通貨打歩ノ生スルコトアルヲ聞クモ未タ顕著ナル事象ニ非サルノミナラス之カ為メ特ニ物価騰貴ヲ助長シ或ハ二重物価ノ悪現象ヲ生スル等ノ実質的弊害アルヘシトハ予想セラレス (二)在来退蔵通貨ノ公債又ハ長期預金化ニ依ル凍結ハ将来之カインフレーションニ及ホスコトアルヘキ滞在力ヲ対スルノ効果ヲ有スルハ認ムルモ他方民衆カ其ノ公債又ハ長期預金化ヲ忌避シ却ツテ睡眠通貨ヲ徒ラニ換物ニ走ラシメインフレーションヲ助長スルノ恐相當大ナルノミナラス後日當該公債又ハ長期預金ノ価値維持ニ付困難ナル問題ヲ発生スヘシ (三)対敵執着心ノ問題ハ根本的ニハ戦局ノ推移並ニ軍政浸透度ノ濃淡ニ左右セラルヘキ性質ノモノニシテ在来通貨回収ニ依リ本問題ノ解決ニ資セシメントスルモ効果僅少ナルヘシ (四)在来通貨ノ存在ハ在来通貨ニ依ル敵側ノ通貨謀略ヲ容易ニスヘシト雖モ之カ流通ヲ禁止シ南発券ニ依ル通貨統一ヲ完成シタリトスルモ南発券ノ偽造印刷ハ在来通貨ニ比シ一層容易ナルヘクコノ点ニ於テ何等異ル所ナキノミナラス在来通貨ノ回収措置自体ニ於テ敵側ニ好個ノ謀略機会ヲ提供スルノ恐ナシトセス (五)敵ノ反抗熾烈化シ萬一ニモ我軍政地区ニ接敵地区ノ拡大シ来レルニ於テハ當該地区ニ於ケル南発券価値ニ多少ノ動揺ノヲ生スルコトアルヘキモ斯ル場合ニ於テ在来通貨ヲ容認シ置クト雖モ軍政施行ニ重大ナル支障ヲ発生スルカ如キ事態ハ予想セラレス 二 積極説ノ論拠ハ如上ノ欠陥ヲ蔵スルニ付暫ク実行ヲ差控フルヲ適策ト認ムルモ本件実施ノ場合ニ於テハ左ノ如キ諸点モ相當ノ障害ト認メラルルニ付将来ノ為メ之カ対策等ニ付尚研究ノ要アリ (一)馬来地区ニ見ラルル如ク現地民衆カ在来通貨ヲ愛好シ之ニ依リ彼等ノ貯蔵欲ヲ満足セシメ居ル実情ニ於テハ之カ回収ヲ直チニ強行スルハ民心ニ好マシカラサル影響ヲ與フヘキコト (二)交通不便ナル僻陬地多キ南方地域ニ於テ所要通貨公債等ノ運搬現地民衆ニ対スル主旨ノ徹底等ニ遺憾ナキヲ期スルハ容易ナラサルコト (三)一部現地民衆ニ尚対敵執着心ノ存スルニ於テハ在来通貨ノ全額回収又ハ之ニ近キ回収成績ヲ挙ケ得ルヤ否ヤハ極メテ疑問ニシテ相當量ノ未回収在来通貨ノ残存スルニ於テハ敵性化セル當該通貨ヲ巡リ複雑ナル問題ヲ発生スルコト (四)本件措置ヲ先ツ比較的問題多キ弗地域ニ限リ実行スルトスルモ在来通貨ニ対スル不安ハ当然盾地域ニモ波及スヘク延イテ物価騰貴ヲ誘発スルノ危険多シ 三 之ヲ要スルニ本問題ニ関シ凡ユル見地ヨリ其ノ利害得失ヲ比較考量シ冒頭ノ如ク判決ス 赤字で書き込まれたメモによって昭和18年12月の作成の文書のようである。このような文書を比較考察しながら、日本の占領地域の拡大に関わる通貨金融政策の実態が明らかになるであろうが、本資料の記述の限りでは南発券の通用を徹底するという原則に基づく通貨金融統合が容易でなかったことが示唆されているようである。 統合のプロセスという点では、もう一つの『敵性銀行接収関係』という綴りが、日本の支配下に入るとともに必要となった現地の既設金融機関の接収がどのようなものであったかを示すという点で重要な資料であろう。 その中の一つの文書は、昭和17年2月4日付けの盤石支店が頭取席に宛てた文書で、これにより現地で香港上海銀行とチャータード銀行の「引渡」がどのように実行されたかが報告されている。それは、タイへの進駐にともない軍当局が差し押さえていたバンコクのイギリス系三銀行について、軍当局とタイ国政府との交渉した結果、タイ国政府側で清算事務を行うことになったこと、その引渡事務の経過等を記したものである。占領地域ではないが、敵国側と見なされる銀行の資産をどのように処理し、それに代わる金融機構をどのように作り出していったのかを考える上では重要な手かがりが秘められている資料のようである。 以上のような内容をもつ文書が今回の公開となった資料に含まれているものである。太平洋戦争期に時期的にはかなり集中しているとはいえ、その機関についての濃密な記録は、正金銀行の歴史を知る上でも、また日本の戦時経済の対外的な側面を知る上でも貴重なものと考えている。 さて、横浜正金銀行資料のマイクロフィルム資料化は第八期を迎えてようやく道半ばを越えたのではと思える地点まではたどり着いた。すでにこれまで解題でも紹介したように、本資料は、2010年2月には東京大学経済学部資料室に正式に収蔵されることになり、すでに私の手を完全に離れているが、今後ともこの資料の公開のために側面から協力していきたい。 第八期のマイクロ化に際しては、長期の不況を反映するようなアクシデントがあって予定の数量の公開には至らなかった。第一期から撮影を引き受けていた企業が業績不振から自己破産を宣言して業務を停止したためである。そのための事後処理にそれぞれの立場で多くの方からのひとかたならぬ尽力をいただき、そのおかげでなんとか刊行にこぎ着けた。いちいちお名前は出さないが、関係の皆様には心からの感謝を記しておきたい。それにしても第一期から、そのていねいな仕事ぶりで絶対的な信頼を置いていた企業が退出を迫られる経済とはなんと情けない経済なんだろうと、嘆くこと頻り。長年の盟友を失って、その一人一人の仕事ぶりに感謝しながら、こちらも体勢を立て直して、第九期以降、資料の刊行を待ってくださっている方に一日も早くと遂げるようにしたいと思う。 最後に、これまでの資料解題でも述べたように、ここに公開する資料は、きわめて貴重な企業資料でもあり、また、横浜正金銀行の性格からして、重要な政策文書でもある。収録にあったっては、個人のプライバシーなどに配慮すべき点は配慮し、歴史的な事実として公開しうる範囲に限定して、研究目的の学術資料として公開するという原則をまもることを指針としきた。今回もこの方針に忠実であろうとつとめた。これは、貴重な資料を寄贈しマイクロフィルム資料として公開することを認めてくださった原所蔵者である東京三菱銀行(現三菱東京UFJ銀行)の強い要請でもある。このような学術研究にとってかけがえのない資料を公開するためには、利用する研究者の側も遵守すべきルールがあることを、私たちは片時も忘れるわけにはいかない。そのことについては、繰り返し注意を喚起し、また、そうした明確なルールに基づいて資料が利用されることによって、今後一層の資料の保存・公開が可能になるということを、本資料の利用者の皆さんに特にお願いして、解題の筆を擱くことにしたい。
2012年11月30日記 別表 横浜正金銀行史関係資料
注記 相場表など331点、東京銀行関係資料183点、正金銀行史編纂関係資料の中の公開に適さない資料200点余を除くと未公開分は3500点程度である。 |