横浜正金銀行資料マイクロフィルム第七期解題東京大学 武田晴人 マイクロフィルム版横浜正金銀行史資料の第7期は、中国所在支店関係の資料である。支店関係資料は、第2期と第5期に支店の期末勘定関係資料および欧米支店、上海・大連支店関係の資料の公開がすでに終わっており、残るは中国などのアジアおよび第二次大戦期の円域に配置された営業店舗等の資料と、それらの支店からの来信である。支店来信については、その一部は第6期で公開を始めたが、中国所在支店などの資料の公開要望が強いことから、第7期では、中国支店関係資料188点を公開することとした。 これまでも繰り返し指摘してきたように、現存する横浜正金銀行史資料は、昭和初期から戦時期にかけての資料が圧倒的に多く、今次の資料もその性格を強く反映しているが、今回公開される資料は、全体として、原資料に「支那」という分類と通し番号が付されているものである。ただし、この「支那」の分類は、整理中に判明した限り3つの異なる系列があった。このうち、冊の形態になっているものについては、原則として背表紙「支那 **」(**は算用数字で表記された番号)があり、そのうち一つの系列には、脇に「整理部」と朱書されるとともに、数字にも括弧が朱筆で添えられていた。また、冊の形態とは必ずしもいえない資料群には、表紙に同様の「支那**」という紙が糊付けされていた。このように番号がダブルかたちでの整理は、横浜正金銀行資料の中にはかなり多数存在しており、このあとの満州などの支店の資料についても同様であった。 中国1のラベル 中国2の整理部と添書 中国3のラベル されているラベル 横浜正金銀行時代に行われたと思われる資料のこのような整理がいかなる原則に基づいていたかに判明していないし、精査する余裕もないが、ここでは、この原所蔵者が付した分類を尊重し、今回の中国支店関係資料については、冊形態の「支那**」と「整理部 支那**」と冊以外の「支那**」の3つに細分して、整理を行い、その原系列の順序に従って資料を配列することにした。ただし、これらの原則に必ずしも適合しない関連資料と判断されるものも、これに追加されていることを付記して多く。 1.中国 1 最初の資料群は、日中戦争開始後からの中国国内及び国外との為替制度に係わる資料群ということができる。 最初の資料である『北支外国為替基金制』やこれに続く『正金銀行朝鮮銀行支店及び業務問題』『北支ニ於ケル輸移出入為替資金集中案』などは、日中戦争が開始され日本の経済的影響力が北支に及ぶに従って、これらの地域の貿易と為替の業務をどのように処理するかが問題となったことを背景とする。対日資源輸出を期待していた軍部等の要求に従って日本向けの輸出を拡大させる方策という側面が「外国為替基金制」には色濃かったと推測されるが、これらの貿易が円滑に行われるためには為替決済を、外国銀行の協力を得ることは難しいであろうという状況の下で、どのように実現するかについて具体的な方策が立てられる必要があった。このような視点から資料によれば「為替集中制」が具体案として俎上にのったようである。他方で為替業務の引き受け主体については、業務の分担を求める朝鮮銀行が政府・軍部に働きかけたためか、同行と横浜正金銀行の間の調整が必要となったことが、上記の『業務問題』と題する資料に生々しく残っている。結果的には、こうした中で北支に於ける朝鮮銀行の地位を保証し、新しく内地銀行が進出することは認めないこと、対外為替業務については横浜正金銀行、対日為替業務については朝鮮銀行が分担するという方向で調整が行われた経過が示されている。 中支・上海並びに香港などの地域に関するこの分類の後半の資料群は、日中戦争期にこれらの支店が係わった為替業務、とくに第三国向けの外貨決済などに、横浜正金銀行がどのようなかたちで関与していたかを記録する文書などによって構成されている。もちろん、北支関係の文書だけが政策的な事項にふれているというわけではなく、それらの文書も同様に実態の記録という側面が強いものも多数含まれているが、比較すれば中支から南支にかけての文書類には、為替業務の実行機関としての正金銀行の記録という性格が強いということになる。 なおこれらの中に『伊資金、C資金、K資金、波資金』『丁資金関係』というタイトルの資料が含まれているが、このうち前者は、中国派遣軍が使用する軍票の価値の安定と浸透を図るため設定された特別な資金勘定であり、『伊資金、C資金、K資金、波資金』に含まれる文書によると、「伊資金」とは「昭和十四年六月以降軍票価値維持施策ノ一トシテ弊行(横浜正金銀行)上海支店にニ設置セラレ候伊資金並ニK資金現地御当局ノ命ニ依リ本年(昭和十八)七月廿一日限リ之ヲ閉鎖スルコト」と書かれている。また、後者も上海支店に設定された資金口座で、金資金特別会計保有の米貨資金の供給を受けて軍票だけでなく法幣の対外的な価値の安定に資することを目的としたものであった。 2.中国 2 第2のグループは「整理部」という添え書きのある「支那」分類の資料である。ただし、このグループでは、通し番号では67までの資料が発見されているが、残っている資料は53点であり、かなりの欠落ないしは、他への紛れ込みがあるとおもわれる。 このグループの中には、海関関係の資料群と法幣為替補償制などの関係の資料が含まれている。 このうち、海関関係資料は、広東海関、上海海関などの海関収入にかかわる取り扱い資料のようであるが、正金銀行は国税徴収銀行として指定されることによってこれらの収入を受け入れていた。広東海関に関しては、資料番号2の『海関預金』と題する資料に「広東海関接収後現在迄ノ海関収入取扱ニ関スル沿革史」(昭和十八年五月廿五日)と題する文書があり、その経緯を知ることができる。なお、この『海関預金』と題する資料番号2と3の資料は、整理部と添え書きされた資料ではなく、分類等が付されていないものであったが、内容的な関連性から、ここに収録した。 資料番号25・26の『上海乙資金勘定明細表』は「中国1」に含まれる「丁資金」などと同種の資金口座に関する運用実績などの資料である。 次に、法幣関係の為替補償制に関する資料では、1941年7月に「対支外貨為替取引ニ関する件」と題する起案文書によって(資料番号31所収)、外貨資金の欠乏に直面していた日本政府が、当時残っている唯一の自由為替市場である上海市場で、横浜正金銀行に対して、円貨及び法幣と外貨との為替取引に当たらせ、その際発生しうる損失については外国為替損失補償金によって補償する契約を結んだことから発生したものであった。これらの資料は、太平洋戦争開戦直前の時期の日本の対外決済の逼迫とその打開策を探る動きを知る上で貴重なものといえるだろう。なお、これに関連して、特別円の取扱なども課題となっていたことが、関連するひとまとまりの資料からも知られる。 3.中国 3 このグルーブは、やや雑多な資料であるが、前述のようにある時点で特定の資料群と見なされて系統的な番号がふられた資料が含まれている。形態的にはほとんどが和文タイプで版をつくり、これをガリ版でわら半紙などに印刷したものが多い。調査報告などの関係資料がこのような形で集められたものとみられ、正金銀行が作成主体ではなく、他から送付された資料などがかなり含まれている。ただし、それらの組織自体の資料が残されていないという現状に鑑みると、その資料的な意味は少なくないかもしれない。 特別に紹介しうる特徴的な内容もないので、詳細は資料リストに譲りたい。 さて、以上が本マイクロフィルム資料第七期に含まれる資料の全体像である。本格的な資料整理が始まってからの経過については、第六期の解題に記したから繰り返さない。完全な公開にはまだ時間が必要であるが、本資料は、2010年2月には東京大学経済学部資料室に正式に収蔵されることになり、ようやく私の手を完全に離れることになった。もちろん今後もこの資料の公開のために側面から協力することにやぶさかではないが、これからは大学の組織として取り組むべき段階になった。ここまでくるうえでは多くの人たちの助力を仰いできた。そうした人たちの助力に心から感謝したい。 これまでの資料解題でも述べたように、ここに公開する資料は、きわめて貴重な企業資料でもあり、また、横浜正金銀行の性格からして、重要な政策文書でもある。収録にあったっては、個人のプライバシーなどに配慮すべき点は配慮し、歴史的な事実として公開しうる範囲に限定して、研究目的の学術資料として公開するという原則をまもることを指針としきた。今回もこの方針に忠実であろうとつとめた。これは、貴重な資料を寄贈しマイクロフィルム資料として公開することを認めてくださった原所蔵者である東京三菱銀行(現三菱東京UFJ銀行)の強い要請でもある。このような学術研究にとってかけがえのない資料を公開するためには、利用する研究者の側も遵守すべきルールがあることを、私たちは片時も忘れるわけにはいかない。そのことについては、繰り返し注意を喚起し、また、そうした明確なルールに基づいて資料が利用されることによって、今後一層の資料の保存・公開が可能になるということを、本資料の利用者の皆さんに特にお願いして、解題の筆を擱くことにしたい。
2011年8月25日記 別表 横浜正金銀行史関係資料
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