横浜正金銀行資料マイクロフィルム第五期解題東京大学 武田晴人横浜正金銀行史資料の第五期マイクロフィルム版は、第四期からの継続資料とともに、これまで四期にわたって公開してきた資料群に対して、補完的な意味を持つ資料群を収録している。資料の整理が進むにつれて、関連資料が新しく見出されたためである。総数700箱に及ぶ資料群は、必ずしも系統立って保存されているわけではなく、また、その配列も必ずしも明確ではない。そのため、全容を十分に把握できないままに、手探り状態で進んでいるために、このような資料の追加が生まれている。まだまだ見落としがあるかもしれないが、近いうちに、より見通しのよい資料全体の見取り図を紹介したいと考えている。 これまでも繰り返し指摘してきたように、現存する横浜正金銀行史資料は、昭和初期から戦時期にかけての資料が圧倒的に多く、今次の資料もその性格を強く反映している。とくに今期の資料群の中では、前期に引き続いてマイクロ化した対外協定関係資料はそのほとんどが戦時体制期の対外決済協定に関わる資料群である。さらに、支店の景況報告など資料群は、部分的には敗戦後の1946年まで、つまり、横浜正金銀行閉鎖の直前の時期を含んでいることに特徴がある。 1.対外協定(2) この資料群は、第四期の対外協定の後続の資料である。既述のように、主として戦時期に関する、また広い地域に関連した資料群であるが、内容的には日伊、日独などの三国同盟国を結んだ国との協定に関わる資料群だけでなく、中南米諸国などを含んでいる。欧米支店はこのように、非アジア地域の広い範囲の対外協定に関与していたようである。 協定の内容は、国際的な決済機構が世界大戦の影響下で機能不全に陥っている中で、個別的に取り交わされた金融・支配協定に関わるものである。貿易量などは戦争の影響でそれほど大きくはないが、これらの資料群は戦時体制下の限られた外貨の下での決済のあり方と個々の地域との貿易関係を知ることのできる資料である。第四期の解題であらかじめお知らせしたように、この一連の資料群のうちから、未公開となっていた130点ほどが今期の資料として収録されている。協定原文などには英文のものが多く、とくに後半に収録されているものは、各国為替銀行との協定などがまとめられている。 2.諸資料 「諸資料」という分け方は極めて曖昧であるが、第一・二期に公開された岸資料などの後続する資料群で、大きく分けて二つのグルーブからなる。一つは、「外国人の財産に関する調査」などのひとまとまりの大きな調査報告書で、このほか「金本位制の消長」「第二次欧州大戦勃発後ノ各国戦時措置」が含まれている。 もう一つは、伊藤資料としてまとめられている67点の資料群である。これらは日本、欧米、北支などの地域別のファイルのほか資金計画、企画関係、重役会議、南方占領などのタイトルが付され、かなり整理されている。銀行史の編纂などを予定してまとめられた資料群と推定されるが、資料の残り方に偏りが大きい本資料のなかでは、岸資料と並んで、横浜正金銀行史の検討には重要な基礎をなす資料群であろう。個人の手で再編成されているという意味では、一次資料ではなく編集されたものであるが、内部者の手でのものであるだけに、資料の選択や配列は信頼してよいと考えられる。 3.決算資料(2) この資料群も第一期に公開されている決算資料と補完的な関係にたつ追加資料である。その内容は、@戦時期の半季報告、A各店の資金運用等に関わる報告書類、F営業譲渡に関わる資料群からなっている。 まず@の半季報告は、第一期に収録した半季報告とタイトルも同一のものであり、当初は同一資料と判断して第一期の撮影に際しては重複資料として除外したものであるが、精査して比べてみると、異同があるために、改めて追加資料として収録することにしたものである。時期的には1940−45年の戦時下に限られている。 次の決算諸表は、様式その他が必ずしも統一されたものではないため、その内容を一つひとつ検討する必要があるが、決算時の財務諸表作成のための基礎資料であったと推定される資料であり、時期的には昭和初期からの資料が含まれているために、利用価値の高いものだろうと考えられる。 Bの譲渡引継関係資料であるが、これは横浜正金銀行が閉鎖され、東京銀行に資産等を譲渡する際に作成されたと考えられる清算関係の資料群であり、支店ごとの明細表などを含めてかなり詳細に、最終期の正金銀行の姿を伝えているものである。なお、正金銀行が閉鎖機関に指定され、東京銀行が設立されていく経緯に関する文書記録は、これとは別に整理されている。いずれ公開したいと考えている。 4.支店(景況)報告(2) この資料は第三期の「支店景況報告」の後続資料として分類されている。支店景況報告には、各支店から定期的に送られてくる週報や月報、あるいは「支店景況報告」とタイトルが付されている半期報告などであるが、戦時期には、それと同種の、よりまとまった資料が「営業報告」と題される資料として残っている。1935年から作成されていることが確認できるがそのときは、「営業成績報告」であり、1937年には単に「営業報告」となり、少なくとも1944年初めまでは作成されたと考えられる。支店景況報告と題する資料は、すでに公開されているところからも知られるように、1944年まで作成されているから、それらを一つにまとめることが必要になったのではないかと考えられるが、資料に内在した検討が期待される。 もう一つの大きな固まりとなっている「支店報告」は第二期に「各支店・期末勘定書」と題された一連の資料の後続の資料である。「期末勘定書」は1940年で終わっているが、その後、似たような様式で、ただし共通のタイトルであった「各支店・期末勘定書」とは明記されずに作成されている。作成単位は支店ごとであることは同様であり、1941−46年の期間にわたっている。また、タイトルが異なるが各支店の「半季報告」と題する資料群も類似の資料と考えて、ここに収録した。ただし、第二期の資料とは異なり、必ずしも支店の網羅性はなく、1945年はまったく欠いているなど、不完全なかたちでしか残っていないことが残念である。 5.欧米支店関係資料(2) この資料も支店報告と同様に第二期に公開されたロンドン、ニューヨーク、パリの主要欧米三支店に関する補完的な資料群である。各支店の『要録』や日銀代理店としての活動に関わる書類、支店の勘定書などはすでに公開されたものに含まれているが、ここでは『日誌』『週報』『時報』と題する資料群など新たに見出されたものを収録した。総数で50点弱であるから、それほど大量な資料ではないが、昭和戦前期の欧米主要店の活動を知るうえでは是非活用したい資料と考えられる。 以上が本マイクロフィルム資料第五期に含まれる資料の全体像である。本格的な資料整理が始まってすでに7年以上が経過し、マイクロフィルムの撮影が開始されて6年目に入り、700箱という段ボール箱の山がほとんど開き終わり、完全とは言えないまでも利用するうえで便利なようにと始めた整理もようやく終わりが見えてきた。 私の時間的な余裕が許せば、できるだけ早い時期に、全体の目録をこの資料に関心を持つ人たちに見て頂けるように、形を整えたいと思っている。期待していてくださいというほど、早くにできる自信はないが、私たちが今もっている資金も、人手も原史料を公開できるような条件はないから、せめて目録だけでもお見せしたいと考えている。 もちろん、整理が終わるとは言っても、それをマイクロ化して皆さんに利用できるようにするためには、まだ時間が必要であり、そのための資金を確保していかなければならないなど、越えるべきハードルは少なくない。 数からみると、公開にこぎ着けたのはまだ半数くらいであるが、少しづつでも皆さんの関心の広がりに応えられるように努めたいと思う。公開された資料を利用して新しい研究成果が出てくれば、きっと元気が出るに違いないとも思う。その意味で、この資料ができるだけ多くの人たちの関心を呼び起こし、研究が活発になってくれればと祈っている。 ここまでくるうえでは多くの人たちの助力を仰いできた。そうした人たちの助力に心から感謝したい。 これまでの資料解題でも述べたように、ここに公開する資料は、きわめて貴重な企業資料でもあり、また、横浜正金銀行の性格からして、重要な政策文書でもある。収録にあたっては、個人のプライバシーなどに配慮すべき点は配慮し、歴史的な事実として公開しうる範囲に限定して、研究目的の学術資料として公開するという原則をまもることを指針としてきた。今回もこの方針に忠実であろうとつとめた。これは、貴重な資料を寄贈しマイクロフィルム資料として公開することを認めてくださった原所蔵者である東京三菱銀行(現三菱東京UFJ銀行)の強い要請でもある。このような学術研究にとってかけがえのない資料を公開するためには、利用する研究者の側も遵守すべきルールがあることを、私たちは片時も忘れるわけにはいかない。そのことについては、繰り返し注意を喚起し、また、そうした明確なルールに基づいて資料が利用されることによって、今後一層の資料の保存・公開が可能になるということを、本資料の利用者の皆さんに特にお願いして、解題の筆を擱くことにしたい。 2007年9月30日記 |