横浜正金銀行資料マイクロフィルム

第四期解題


東京大学 武田晴人


 マイクロフィルム版横浜正金銀行史資料の第四期は、第三期に引き続き対中国関係の借款に関わる資料群をはじめ、横浜正金銀行が関与した対外投資関係資料、戦時体制期にかけて取り結ばれた対外協定関係の資料を収録する。

 これまでも繰り返し指摘してきたように、現存する横浜正金銀行史資料は、昭和初期から戦時期にかけての資料が圧倒的に多く、今次の資料もその性格を強く反映している。とくに今期の資料群の中では、第三集となる対外協定関係資料はそのほとんどが戦時体制期の対外決済協定に関わる資料群である。このほか、借款関係などについては、資料のタイトルなどから知りうる限りは、震災後数年のうちに編成されはじめた一連の資料が多いとはいえ、借款関係資料については、その開始期である日露戦争後からのものが相当数含まれていることに特徴がある。

 これまで公開されてきている各支店の『要録』や『景況報告』『決算関係』などの資料群が毎年のように連続的に作成されてきた定型的な時系列資料であるのに対して、今回の資料は、それぞれ借款、投資、協定の案件ごとにファイルされたものであり、資料の性格に差がある。このような資料の性格は、各綴り・ファイルのタイトルによっておおよその内容を知りうるという特徴も付与しているが、精査されて整理されていないため、資料の配列などについては、今後さらに追加的な整理作業を必要としている面を残している。しかし、そうした問題点はあるが、ここに収録された資料群によって横浜正金銀行の中国借款や対外投資関係の資料のほぼ全容が示されているといってよい*。

*「ほぼ全容」と留保したのは、横浜正金銀行史資料には、『横浜正金銀行全史』を編纂するために作成された資料群が未公開資料群の中に残っており、その中に編纂過程で作成された借款関係の第二次資料が含まれているからである。これらについては、今後の公開に待たなければならない。
 以下、簡単にそれぞれの資料の特徴を示しておこう。

1.対中国借款(2)


 この資料群は、第三期の対中国借款(1)の後続の資料である。「対中国借款(1)」が政府レベルの借款類に関する資料が中心であったのに対して、この(2)は以下のような個別的な借款契約に関する資料群となっている。
 その中には、漢冶萍公司借款、裕繁公司借款など製鉄原料確保のための諸借款、中日実業関係、北支那開発、中支那振興、東亜興業などの国策会社を経由した借款、そして鉄道関係の諸借款などが多数含まれている。これに対して、第一次大戦期の大型政治借款であった「西原借款」と題するファイルは一点しかなく、この借款と横浜正金銀行との関係を示唆しているということができよう。

 漢冶萍公司借款や裕繁公司借款については、旧大蔵省財政史室の所蔵資料などに基づく製鉄業史の研究によってすでに重要な分析が進められており、また、前者については、本資料にも含まれている大蔵省預金部『支那漢冶萍公司借款ニ関スル沿革』(昭和4年6月)などに経緯がまとめられている。これによると、昭和4年3月末現在で日本からの借款は合計13口、金3800万円余及び銀250万両に及ぶ。そのうち12口が横浜正金銀行経由のものであったから、この資料の公開は同公司借款の全容を知る重要な手がかりを提供する。その中には、明治末からの本借款に関する契約書類、公司の経営状況に関する報告書類、契約の改定等に関連する交渉経過を示す資料などが含まれている。たとえば、「漢冶萍 続借 参考資料」は公司の経営状況を知ることのできる決算報告などを含む資料である。このような「参考資料」と称すべき資料はこのほかにも見出され、この借款が横浜正金銀行にとってもしばしば経過をとりまとめて見直しを必要とする重要な案件であったことを示唆している。このような諸資料が相互にどのような関連を持っているかを精査できているわけではないが、タイトルに「漢冶萍」と記されているファイルは、内容的に重複するものも含めて合計で80点近く存在する。これらの資料による新たな発見が、同公司に関する研究の進展もたらすことを期待したい。

 裕繁公司借款は、第一次大戦後に新たな製鉄原料供給基地として注目されたもので、これに関連する資料は14点ほどと漢冶萍公司借款と比べると数が少なく、タイトルから見ると「関係書類」の初期のものが欠落している可能性がある。内容的には漢冶萍と同様に契約書や交渉経過などを示す資料群である。なお、分類は便宜的なもので、裕繁公司関係の資料は、次の「諸借款」にも含まれ、このグループの資料の一部は中日実業関係の資料としても分類できるものもあるが、いずれもファイルの主タイトルの表記を優先して分類の帰属を定めている。

 対中国借款(2)の第二のグルーブは「諸借款」としてまとめられているが、これらはすでに記したように、北支那開発、中支那開発、東亜興業、中日実業などの国策会社に関する資料のほか、満蒙鉄道に関わる各種の借款が、基本的には路線単位でとりまとめられている。このほか、申新紡績ほかの民族紡織会社に対する資金供与などもあり、台湾銀行がかかわった石原産業向けの貸付など多様な内容を含んでいる。大正期の資料に比較的厚みがあることに、他の分類の資料群と比べると特徴がある。

 第三のグループは、これらと共通するものもあるが、やや雑多にまとめて保存されていた借款関係資料である。その中には、借款全般に関わる一覧表などの統計的な資料や事務手続き等に関わる資料などもある。また、第三期に収録漏れとなった露国向け借款や震災外債などの関連資料もここに含むこととした。このほかこのグループには、関税改正会議や塩税関係の書類、清国鉄道公債などに関する資料、四鄭鉄道関係のひとまとまりで保存されていた資料などをそれぞれまとめて収録してある。
 見られる通り第三のグループの資料類はバラバラの形で保存されていたものもあるためかなり錯綜しており、タイトルなどから関係すると考えられる資料はひとまとめにしているとはいえ、今後、内容的な検討によってより適切な整理の方法が見いだされるかもしれない。その点についてはご海容願いたい。

 以上の借款関係の資料群は、第三期の解題でも紹介したように、疋田康行氏らの共同研究の成果(国家資本輸出研究会編『日本の資本輸出 : 対中国借款の研究』多賀出版、1986年3月)が公刊されているから、これらの成果とこの正金銀行資料とを対照させて作業がこれから必要となるのではないかと予想される。なお、契約相手先の漢字表記などについては、判読不能な箇所もあり、また、通常使われていない字体等の利用を避けるため、必ずしも資料通りとはなっていないことも第三期資料と同様であることをお断りしておく。

3.対外投資関係資料


 第四期第2集は「対外投資」関係の資料群としてまとめられている。これらは、横浜正金銀行が取り扱った外国債の購入、国内諸主体による外国債発行に関わる資料群などである。
 このなかには、第一次大戦期に始まるフランス政府による「円国庫債券」に関する資料、明治末から始まる東京市の市債発行資料を中心に、数は少ないが大阪市、横浜市、神戸市などの市債関係資料、電力外債の関係資料などがある。
 これに続く資料群は満州国の関係公社債資料である。社債では、南満州鉄道、満州拓殖、満州電業ね北満鉄道などの関係資料があり、これらは満州国建国前の資料を一部含むとはいえ、基本的には日本の満州国建国以降に関わるものといってよい。
 「その他公債」という小分類にまとめられているものは、かなり雑多な資料類であるが、横浜正金銀行が所有していた公債の明細表などの資料のほか、各種の公債に関する各店間の往復書簡類などが中心をなしている。時期的に昭和恐慌期以降のことであるから、新規の公債発行に関わるものというよりは、既発債の処理を中心とした資料群と考えられるものである。

4.対外協定関係資料(1)


 第四期第3集の「対外協定」関係資料は、以上の資料とはやや性格を異にし、主として戦時期に関する、また広い地域に関連した資料群である。内容的にはタイ、仏領インドシナなどのアジア関係の資料をはじめとするものであるが、主に欧米支店が取扱店として関わった対外協定である。欧米支店の関係した戦時期の対外協定は、このようなアジア地域だけでなく、中南米諸国との協定、ドイツなどとの協定も一連の資料として保存されていたため、これを一括して公開することとした。
 協定の内容は、国際的な決済機構が世界大戦の影響下で機能不全に陥っている中で、個別的に取り交わされた金融・支配協定に関わるものである。アジア関係では、既述のようにタイ、仏領インドシナなどがあり、中南米地域では、ウルグアイ、ボリビア、ペルー、チリ、ブラジル、アルゼンチンなどである。ヨーロッパ地域では、同盟国であるドイツ、イタリアが中心であるが、このほかイギリスやオランダなどの諸国との支払協定関係もある。ドイツのと関係では、このほか、満州国とドイツとの決済に関わる協定類があり、これらは、第二グループとしてまとめられている満独貿易に関わる資料との一連の資料である。貿易量などは戦争の影響でそれほど大きくはないが、これらの資料群は戦時体制下の限られた外貨の下での決済のあり方と個々の地域との貿易関係を知ることのできる資料である。また、各支店との往復からはそれぞれの地域の経済状況などを垣間見ることができるという意味でも貴重であろう。なお、この対外協定に関する資料は、未だ整理途中であり、130点ほどは次期以降のマイクロフィルム化にゆだねられている部分があることをお断りしておきたい。

 以上が本マイクロフィルム資料第四期に含まれる資料の全体像である。本格的な資料整理が始まってすでに6年以上が経過し、マイクロフィルムの撮影が開始されて5年目に入ったが、もともとの700箱という段ボール箱の数からみると、公開にこぎ着けたのはまだ半数に届くかどうかというところである。ようやくここまでたどり着いたという感慨とともに、重要な資料に関してはかなり公開が進んだと慰めることもできるが、まだ道半ばという思いもある。ここまでくるうえでは多くの人たちの助力を仰いできた。そうした人たちの助力に応えるためには、なんとか少しずつで整理をすすめ、残りの資料群についても公開を実現しなければと考えている。公開された資料を利用して新しい研究成果が出てくれば、きっと元気が出るに違いないとも思う。その意味で、この資料ができるだけ多くの人たちの関心を呼び起こし、研究が活発になってくれればと祈っている。
 これまでの資料解題でも述べたように、ここに公開する資料は、きわめて貴重な企業資料でもあり、また、横浜正金銀行の性格からして、重要な政策文書でもある。収録にあったっては、個人のプライバシーなどに配慮すべき点は配慮し、歴史的な事実として公開しうる範囲に限定して、研究目的の学術資料として公開するという原則をまもることを指針としきた。今回もこの方針に忠実であろうとつとめた。これは、貴重な資料を寄贈しマイクロフィルム資料として公開することを認めてくださった原所蔵者である東京三菱銀行(現三菱東京UFJ銀行)の強い要請でもある。このような学術研究にとってかけがえのない資料を公開するためには、利用する研究者の側も遵守すべきルールがあることを、私たちは片時も忘れるわけにはいかない。そのことに特に注意を喚起し、また、そうした明確なルールに基づいて資料が利用されることによって、今後一層の資料の保存・公開が可能になるということを、本資料の利用者の皆さんに特にお願いして、解題の筆を擱くことにしたい。

2006年12月25日記