解題

工鑛業關係會社報告書

東京大学教授 武田晴人

 

本資料の成立経緯

 「工鉱業関係会社報告書」は、1945年秋に連合国軍総司令部の指令に基づいて、作成・提出された報告書である。戦時期から占領期の研究が盛んになっている今日、この資料は、その基礎的な情報を提供する資料として極めて重要な発見ということができる。

 「発見」というのは大げさかもしれないが、不勉強にして、この時期を専門に研究をしたことがないためもあって、こうした調査が行われたことも、その資料がすべてではないにしても残されていることを、筆者は全く知らなかった。たまたま、2000年の初春に東洋経済新報社から同社調査部が保存していた営業報告書等の資料の廃棄の計画があるとの情報をいただき、お願いして東京大学経済学部図書館に寄贈していただくこととした。その量は、段ボール箱でおよそ400箱ほどであり、ほとんどが昭和戦前期から1980年代に至る国内企業が発行した営業報告書であった。その整理過程で、およそ10箱弱ほど形態も内容も異なる資料が見出されたが、当初はその資料の性格、由来など全く不明であった。営業報告書の方は、よく知られているように、東京大学経済学部がかねてから広く収集し、日本工業倶楽部など保存資料の寄贈を受けて、現在でも国内随一の収集資料になっていると自負しているが、それでも新しい寄贈分で80箱程度は非重複分として収蔵コレクションに追加されることになった。

 それはともかく、その正体不明の資料について、若干のサンプルを取り出して内容を見ていくと、「APO500号指令に基づく報告書」などの表記があり、何らかの目的で行われた調査の回答書がまとまって出てきたのではないかと推測された。「APO500号」という表記などから占領期という推測と、後述するような内容から見て、敗戦から間もない時期の調査であることも分かったため、ともかくも全体を調査することとし、報告書が「工鉱業関係會社報告書」と記載されることがあることなどを手がかりに調査を進めた。その過程で、たまたま三菱史料館に下記の資料があることが分かり、整理中の資料とつきあわせて内容が一致することが明らかとなったために「工鉱業関係会社報告書」として一括整理することした。

 三菱史料館所蔵の文書は、B5版型の紙にタイプされた英文と「仮訳」とされ日本文の2枚で、日本文は次のようなものである。

資料1

(仮訳)

エーピーオー第五〇〇號

 昭和二十年九月十九日

                聯合軍最高司令官事務所

                経済科學課長 アール・シー・ケレーマア大佐

 中央連絡委員会御中

  工鑛業關係會社報告書提出ノ件

 

一、昭和十九年事業年度ニ於テ事業総額百萬圓以上ノ本邦各工鑛業關係會社ニ付添附様式ニ基キ報告書ヲ提出スベキコト

二、前項報告書ハ英文ヲ以テ「タイプ」シ用紙ハ縦横十一吋及八吋ノモノヲ用フベキコト

  添附書類一件(報告書様式)

  報告諸様式(報告ハ縦横十一吋及八吋ノ用紙「タイプ」ノコト)

A 名稱

  所在地(工場又ハ鑛山ニシテ二以上ノ場合ニ於テハ其ノ番號竝所在地)

  會社ノ概要

B 創立ノ時期、重要拡張事項、合併又ハ合同事項、種々時期ニ於ケル生産品目ヲ含ム社歴、本邦外所在支店、出張所又ハ關係店状況、本邦内所在ノ出張所又ハ關係店ノ名稱竝其ノ支配ノ割合

C 昭和五年以降ニ於ケル事業年度末貸借対照表、同前事業年度損益計算書

D 會社ノ現在債務ニ対シ五パーセント以上ノ債権ヲ有スル個人又ハ會社ノ氏名又ハ名稱、住所並事業關係

E 會社所有者又ハ株主ノ数

F 昭和五年以降各年度ニ於ケル主要生産品目別、價格別生産額

G 工場ノ現有設備状況

H 昭和十九年九月一日現在ニ於ケル財産目録ニ記載ノ原料、製品、半製品及燃料状況

I 左記事項

   1.生産豫定品目

   2.右ノ各数量

   3.右ノ昭和十五年ニ於ケル價格

   4.右ノ販売予定價格

本表は三十日以内ニ提出スベキコト

 

 これによると、敗戦から1ヵ月余りの919日に、総司令部経済科学局のクレーマー大佐名で、9項目にわたる報告を、「事業総額」100万円以上の工鉱業関係の企業に対して提出することが求められている。期限30日は、敗戦後の混乱期であったことを考えると、性急な要求という印象が残るが、総司令部が占領開始直後に日本の工鉱業企業の実態を把握しようとしていたことがこの指令から明らかになる。

 報告を求められている調査項目は、戦前期の日本の企業が対外的に発表してこなかった主要債権者の氏名や事業上の関係、現有の設備状況や生産品目、在庫品の数量などを含んでおり、また、将来に属する生産予定の品目などであり、おそらくは数字をそろえるように求められた社内の担当者は目を白黒させたり、顔を青くしたりしたのではないかと想像される。

 余談に属するが、この「仮訳」において「エーピーオー第五〇〇號」と題されたことが、各社提出の報告資料の表題にAPO500号に基づく報告という類の表記が見られる理由のようであるが、占領期の文書のなかではこのような文書番号の付け方は管見の限り、他には見出しがたい。末尾に参考として付した英文の正文には、日付のうえにこの番号が付されており、これを文書番号と受け止めたようである。しかし、三菱史料館所蔵資料の中には、全く内容の異なる文書に同じ「A.P.O.500」という表記が日付の上にあるものが残されている。たとえば、「AG004(31 Oct.45) ESS   A.P.O.500  October 31, 1945 MEMORANDOM FOR THE IMPERIAL JAPANESE GOVERNMENT ・・・SUBJECT: Sale or Transfer of Securities of Certain Business Firms」というようにである。これは、『近代日本法律司法年表』(石井良助監修、第一法規、1982)によれば、「若干の会社の証券の売買又は移転に関する総司令部覚書」とされているものであろうが、このような用例からも明らかなように、これは指令の番号でも文書の番号でもなく、発信者側を特定するための番号を取り違えたものであった。これついては、資料を整理していた2000年当時大学院生だった林采成君が「「APO」は、おそらくArmy Post Office、即ち軍事郵便局の略字と思われます。また、AGというのはAjutant Generalの略字として、高級副官となりますので、APO500は軍事郵便局に登録されている番号であり、AG004ESSは、ESS内の特定の人の番号ではなかろうかと思われます」と教えてくれたので、筆者としてはそれ以上は追求することを止めた。何かご存知の方があれば、ご教示いただければと思うが、真相はともかく、占領初期の不慣れな時期に発生した誤訳ということは間違いなく、この時期のドタバタぶりをかいま見ることのできるエピソードであろう。

 さて、本筋に戻って、この総司令部の917日の指令に対して、日本政府は、10日後に、以下のような省令を公布して、国内的な法的裏付けを与え、罰則規定を設けて日本企業に遵守するように求めた。

資料2

農林・商工省令第一號

昭和二十年勅令第五百四十二號ニ基キ工鉱業關係會社報告書ニ關スル件左ノ通定ム

         昭和二十年九月二十九日

                        農林大臣  千石興太郎

                        商工大臣  中島知久平

第一條 工業又ハ鑛業(土石採取業ヲ含ム)ヲ營ム會社ニシテ昭和十九年ニ係ル一年間ノ事業年度ニ於ケル當該會社ノ事業総額ガ百萬圓ヲ超ユルモノハ別記様式ニ依ル報告書ヲ昭和二十年十月十日迄ニ本店所在地ヲ管轄スル地方長官ニ提出スベシ

第二條 前條ノ報告書ヲ前條ノ期日迄ニ提出セズ又ハ前條ノ報告書ニ虚偽ノ記載ヲ為シタル者ハ一年以下ノ懲役若ハ禁錮又ハ千圓以下ノ罰金ニ處ス

第三條 會社ノ代表者又ハ會社ノ代理人、使用人其ノ他ノ従業者ガ其ノ會社ノ業務ニ關シ前條ノ違反行為ヲ為シタルトキハ行為者ヲ罰スルノ外其ノ會社ニ對シ前條ノ罰金ヲ科ス

 附則

本令は公布ノ日ヨリ之ヲ施行ス

(様式)

  事業報告書

一 名稱

  所在地(工場又ハ鑛山ニシテ二以上ノ場合ハ其ノ数及所在地) 會社ノ概要

二 創立ノ時期、重要ナル拡張、合併又ハ合同、各時期ニ於ケル生産品目ヲ含ム會社ノ歴史

 本邦外所在支店、出張所、子會社又ハ關係店ノ状況、

 本邦内所在ノ關係店及子會社ノ名稱竝ニ其此等ニ對スル支配ノ割合

三 昭和十年以降ニ於ケル各事業年度末貸借対照表及損益計算書

四 會社ノ資本金ニ對シ五パーセント以上ノ割合ヲ占ムル持分又ハ株式ヲ有スル個人又ハ會社ノ氏名又ハ名稱、住所及事業關係

五 會社所有者又ハ株主ノ数

六 昭和十年以降各年度ニ於ケル主要生産品目別、價格別生産額

七 工場事業場ニ於ケル現有設備状況

八 昭和十九年九月一日現在ニ於ケル財産目録記載ノ原料、製品、半製品及製品状況

九 左ニ掲グル事項

   ()生産豫定品目

   ()品目別生産豫定数量

   ()生産豫定品目ノ昭和十五年ニ於ケル價格

   ()右品目ノ販売豫定價格

備考

()報告書ハ英文ヲ以テ「タイプ」セルモノ五部及邦文ノモノ二部ヲ提出スルコト

()用紙ハ縦十一吋及横八吋ノモノヲ用フルコト

                                 (出典:官報 5616号、昭和20929)

 

 冒頭の昭和20年勅令542号は、専門家ならよく知っていることだが、いわゆる「ポツダム政令」の制定を認めた920日の緊急勅令であり、この省令が罰則を含む法律の要件を備えているために、その典拠法として示されたものである。

 さて、資料2の省令が求めている報告様式が先の指令にある様式の実質的な翻訳であることは、対比すれば明らかであろう。

 省令第一條では、対象となる工鉱業会社を事業総額が100万円を超えるものとしており、指令の「事業総額」100万円以上と異なっている。指令の英文は a total volume of business of 1,000,000 yen or more であるから誤訳ではなく、対象会社の基準がわずかながら変更されている。もっとも、この変更の意味を明らかにすることは難しい。そもそも「事業総額」が何を意味するかが明確でないからである。したがって「以上」から「超えるもの」への変更は重大なものではないであろう。

 第二條、第三條の罰則規定は懲役・禁固を含むものできわめて厳しいものと思われるが、性急な指令の遵守に不安があったことと、総司令部に対して日本側の取り組みの姿勢を示すためとの両面を持っていたのではないかと想像される。

 このほか、資料2にアンダーラインを付した箇所が指令と相違している点であるが、最も大きな変更は、貸借対照表・損益計算書や生産額などの数値のカバーすべき期間が昭和5年以降の15年間から、昭和10年以降の10年間に短縮されたことであろう。日本政府が交渉によって短縮を求めた結果であろう。もう一つは、指令様式D項と省令様式四項とにおいて債権者から出資者・株主に改められた。

 なお、その後、この報告に関連するものと思われる省令として、次の資料3がある。

資料3

閣令・文部省令・農林省令・商工省令・運輸省令第一號

 昭和二十年勅令第五百四十二號ニ基キ工場事業場、研究機關等ノ事業報告書等ニ關スル件左ノ通定ム

    昭和二十年十月十日

               内閣総理大臣 男爵幣原喜重郎

               文部大臣     前田多門

               農林大臣     松村謙三

               商工大臣     小笠原三九郎

               運輸大臣     田中武雄

第一條 大東亜戦争終結ノ際左ニ掲グル物質ノ生産又ハ加工ノ業ヲ營ミタル者ハ其ノ所有シ又ハ使用スル工場、事業場、設備、特許権其ノ他ノ財産及之ニ關スル一切ノ帳簿其ノ他ノ書類ヲ良好ナル状態ニ於テ保存シ及維持スベシ

 一 兵器

 二 航空機

 三 戦闘用艦艇

 四 弾薬

 五 鉄鋼

 六 化学薬品

 七 非鐵金属

 八 アルミニューム

 九 マグネシウム

 十 合成ゴム

 十一 人造石油

 十二 工作機械

 十三 有無線通信機其ノ他ノ電気器具

 十四 自動車

 十五 船舶(総頓数百頓以上ノモノヲ謂フ)

 十六 重量機械(重量一頓以上ノモノヲ謂フ)及其ノ重要ナル部品

 十七 第五號乃至第十一號ニ掲グルモノノ外第一號乃至第四號ニ掲グル物資ヲ生産スル為特ニ考案シ又ハ生産セラルル部分品竝ニ原料及材料

 前項ニ掲グル者ノ外大東亜戦争ノ遂行ニ必須ノ物資ノ生産、加工若ハ配給ヲ擔當シ又ハ此等ノ業務ノ統制ヲ擔當シタル者ニシテ主務大臣ノ指定スルモノハ其ノ所有シ又ハ使用スル工場、事業場、設備、特許権其ノ他ノ財産及之ニ關スル一切ノ帳簿其ノ他ノ書類ヲ良好ナル状態ニ於テ保存シ及維持スベシ大東亜戦争ノ遂行ニ必須ノ輸送ノ統制ヲ擔當シタル者ニシテ主務大臣ノ指定スルモノニ付亦同シ

第二條 科學又ハ技術ニ關スル研究所、実験所、試験所等(以下研究所等ト稱ス)ノ経営者ハ主務大臣ノ定ムル様式ニ依リ事業報告書七通(英文六通、和文一通)ヲ毎月一日ノ状況ニ基キ作成シ其ノ月ノ七日迄ニ主務大臣ニ提出スベシ

第三條 研究所等ノ経営者ハ正當ナル権限ヲ有スル聯合軍代表者ガ研究所等ニ臨検シ業務ノ状況又ハ帳簿書類其ノ他ノ物件ヲ検査セントスルトキハ之ヲ拒ミ、妨ゲ又ハ忌避スルコトヲ得ズ

 (第四條以下六条まで罰則規定 略す)

(出典: 官報5625号 昭和201010)

 

 実は、この省令が前述の『近代日本法律司法年表』には採録されており、資料2の省令が記載されていないために、資料整理の当初は、資料3の省令に基づく報告書ではないかとの予想したが、見られるとおり、資料3は主として研究機関に関して月次の現況報告を求めることが主たる内容であり、そのため、所管官庁も文部省、運輸省などに拡張されている。ただし、その第一條は、資料2の対象企業に部分的とはいえ対応し、軍需生産企業に対して、その記録・帳簿類の保存整備を義務づけたものであったから、資料2の報告書の裏付け資料が廃棄・散逸することを防ぎ、さらに立ち入った調査が可能なようにあらかじめ指示したものと考えられる。総司令部ないしは占領に当たったアメリカ側の日本の工業力、軍需産業の実態に対する関心は−あるいは将来の賠償計画に関わる予備調査であったかもしれないが−このように極めて高かったのである。

 なお、資料3によって試験研究所等が提出することになった「試験研究所月報」は、1029日の告示(内閣・文部省・農林省・商工省・運輸省告示第一号)で簡単な様式が定められた(官報5640)。内容は、機関の名称・所在地・所有者・試験研究状況(研究結果と担当者指名)を報告するものである。また、省令第一条第二項に関する指定機関については、1030日に商工省関係が商工省告示30号で、各種の統制会社、統制組合、配電會社などが指定を受けている。これらの「試験研究所月報」は、本資料には含まれて居らず、内容的に見ても別系列の資料群というべきものであろう。

 

本資料の概要

 東洋経済新報社に保存され、段ボール詰めの状態で寄贈された本資料の受入、整理作業は武田研究室で行った。整理の結果、見出された報告書の数は2269社分であった。

 資料は何度か箱の詰め替えなどが行われたと推定され、全般に資料の痛みが激しかっただけでなく、途中の頁がはずれたり、綴じがはずれてバラバラになったものも少なくなかった。その破損の一部は、資料の性格もわからずに調査を始めた最初の時期に、私たち自身が責任を負っているものもあるが、いずれにしても原型をとどめないものもあって、整理は難航した。そのため、2269社の一部には、社名について数社分推定を含むものがある。鯛生産業、東北肥料、東洋汽罐、大日本造機、日産自動車、共同企業などである。これらは、使用している用箋、事業内容、記載されている株主名などから推定して社名を「確定」した。

 また、第一次的な整理の段階で資料の原形を簡単には復元できない資料が100件以上発生したが、それらは、用箋の大きさ、紙質、インクの色、タイプ・手書きの別、綴じ後の穴の位置など、さまざまな手かがりをつきあわせ、復元に努めた。その結果、最終的にどこの会社のものかはっきりしないものとして36件が残り、これらについては「断片」として収録することで、それ以上の追求を断念した。内容等から見て社名が推定できるものがあれば、是非ともご教示いただきたいと考えている。

 総司令部の指令、省令に定められた報告様式と対比して、主要な項目が欠けている不完全データも43社分含んでいる。しかし、断片とこの不完全データを合わせても合計80社ほどで、2269社の4%ほどであり、かなりいい状態で整理が一段落したものと考えている。資料整理の完了は200012月初旬のことである。

 

 資料2の省令で定めた様式の末尾「備考」にあるように、報告書は英文5部、日本文2部が作成されることになっており、受入資料はその日本文2部のうちの1部と考えられる。従って、この資料の英文がアメリカの文書館に占領期の文書の一部として保存されている可能性があるが、現在のところ、そうした資料に基づく研究は発表されていないようである。

 なぜ、このような総司令部および日本政府に提出した文書の原本が東洋経済新報社の資料として保管されていたのかは、現在のところ「謎」とするしかない。ただ、同社が創刊55周年記念出版として編纂した『昭和産業史』全3巻、1950年は、本資料が対象とする時期に重なる時期の詳細な生産額等の記録を含んでいることから、何らかの理由で、同社の事業のために提供され、その後、資料の由来等もわからないまま50年以上も保管されていたのでは考えているが、この仮説の真偽のほどはわからない。

 さて、整理が完了した資料は、形式から見ると、指示された様式にほぼ沿ったものであるが、各項目がアルファベットでふられていることなどから見て、省令制定以前に、三菱史料館にも保管されていたような指令の英文及び「仮訳」日本文が対象となる企業には配布されており、それに基づいて報告書が準備されたのではないかと考えられる。報告書の表題に、すでに指摘したように、「APO500号指令に基づく」というような表現が見られることとあわせて、実際の作業が先行し、資料2の省令制定はこれを後追いしたものと断定して間違いないであろう。余談ながら、9項目の調査項目の最後は、[I]であるが、かなりの数の報告で、小文字の[L]を用いているものがあり、整理の過程で復元する際に、未知の調査項目が追加されているのではないかと疑問を持ったが、実際には大文字の[I]を取り間違えたものと判明した。報告作成にあたった当事者たちはアルファベットの順番も不確かだったのかといぶかった次第であるが、記載資料のなかに、項目がLで表示されているものは、そうした誤解によるもである。

 形式の点でいうと、指令でも省令でも指定の大きさの用紙にタイプすることが求められているが、相当数の企業が手書きの文書を提出しており、用紙の大きさも指定の用紙が入手困難であったためか、多様で統一されてはいない。また、日本文は縦書きのものも混じっている。ただ、総司令部への提出文書ということで、各企業ともおそらく自社で使用可能な用紙のなかでは紙質の良いものを精一杯利用したと見られ、この時期固有の酸性の度合いの強いザラ紙の類は少なく、この点が本資料を50年以上も残し、利用可能な状態に復元できた理由のように思われる。

 

 内容的には、部分的に有力な債権者を記したものなど指令の様式に沿ってものも見出されたが、報告の対象期間は省令による10年が比較的多く、これまで雄松堂のマイクロフィルムコレクションの一つである営業報告書などでデータが欠けているところが、本資料に含まれる連続貸借対照表・損益計算書で補える可能性もある。もっとも、戦災で帳簿が消失しているので報告できないと記しているものもあり、収録されたすべての企業について、このような情報がそろっているわけではないので、過大な評価は慎まなければならない。

 その他の記載内容では、第1項目の2つ目にあたる「会社の概略」は、事業の種類とかがかなり定型化されれた形で報告が記載されているため、これまで説明してきた資料とは別に何らかの雛形があって、日本政府が指令を周知徹底する過程でより具体的な項目を指定された可能性が否定できないが、裏付けとなる資料は見つかっていない。

 資料的な価値という点から見ると、当初からこの報告では、従業員数や賃金などの労使関係・労働条件に関わるデータがないことが残念である。総司令部は設備とか生産物など物的な側面と、企業の資本関係などには立ち入った調査項目をたてているものの、この報告に関する限り、労働には無関心であった。

 このような限定があるものの、本資料は、設備状況や生産実績など営業報告書では得難いデータが報告されているという点で、かなり貴重な情報源となる。とくに品目別の生産実績や主要な設備投資記録など、戦時期の経済分析や企業分析には重要な意味を持つであろうと思われる。もちろん、それらの記載は、報告を短時間でまとめることを求められたことなどもあって精粗があり、具体的な研究にどのような利用が可能であるかは、これから具体的な研究を進める個々の研究者の関心や手法に従って明らかになることを期待している。

 また、どの程度の信頼性があるかは明白ではないが、生産予定品目が問われ、各企業が占領直後の混乱期に知恵を絞り、制限された状況で平時産業に転換する方向をそれぞれ模索していたことも知られる。設備の残存状況などと対比しながら、その計画の現実性を図ることも不可能ではないであろうが、敗戦直後の日本企業の見通し、経営方針などを知る上では、これも貴重なデータではないかと考えている。このような調査は、戦前・戦後期を通して行われたことはなく、敗戦と占領という異常な転換期の所産であろう。

 いずれにしても、本資料は新しく発見された資料という点で、既知の資料のマイクロ化とは異なっているが、その意義を客観的に図ることは今後の研究の進展に委ねられているというべきであろう。いうまでもないことであるが、本資料として作成された報告書のすべてが、このマイクロフィルムに採録されたということはできない。しかしながら、そのカバーしている範囲がきわめて広範であることは、つぎのデータからも推定することができる。

 すなわち、昭和20年版の『会社統計表』によれば(昭和19年版は未発表)、表1のように、1945年末時点で国内には総数41380社が存在していたが、そのうち、資本金が100万円以上の企業は3405社である。指令及び省令は「事業総額」100万円を基準に対象を定めているから、ここでの資本金基準の会社数との比較は正確ではないことをあらかじめ断っておく必要があろう。資本金額で100万円を下回る企業も対象に含まれた可能性は高いからであるが、「事業総額」の意味が不明であり、他に適当な比較材料もないために以下では便宜の措置としてお許しいただきたい。

 資本金100万円以上の企業には、表2のように、商業会社などが多数含まれており、工鉱業会社は全体の63%[(26887+666) / 43180]である。残念ながら業種別と資本金別のクロス集計は得られないので、仮に同一の比率で各業種とも大企業が分布していたとすれば、3405社の63%、つまり2145社が工鉱業会社となる。株式会社に限って同様の計算をしても資本金100万円以上の株式会社合計3286社であるから、対象企業数の推計値はさらに下がる。もちろん工鉱業企業に資本金規模で見た大企業が多いことを考慮すれば、総司令部が提出を求めた対象企業数は、2500社位に達するかもしれない。しかし、本マイクロ資料が採録している報告書会社数2269が、対象とすべき企業数と比べて著しく過小であるということはないであろう。その意味では、本資料は工鉱業企業の占領直後に行われた調査としては、その網羅性という点でもきわめて貴重なものだということができよう。

 

表1 資本金額別会社数              

 

 

 

総数

100万円未満

100万円以上-500万円未満

500万円以上-1000万円未満

1000万円以上

 

合名会社

3,511

3,449

52

4

6

 

合資会社

7,019

6,985

30

2

2

 

有限会社

7,794

7,771

20

3

 

 

株式会社

23,050

19,764

2,403

375

508

 

株式合資会社

6

6

 

 

 

 

 

41,380

37,975

2,505

384

516

 

 

      表2   業種別会社数

 

総数

合名会社

合資会社

有限会社

株式会社

株式合資会社

農業

579

82

229

35

233

 

水産業

198

8

40

9

141

 

鉱業

666

14

66

57

529

 

工業

26,887

1,614

3,432

6,463

15,377

1

商業

11,285

1,755

3,091

1,007

5,427

5

運輸業

1,765

38

161

223

1,343

 

 

41,380

3,511

7,019

7,794

23,050

6

 

 以上のように、本資料の価値は図りがたいものがあるが、このたび、雄松堂出版の事業としてマイクロフィルム化が実現し、広く利用される基盤が整ったことは、資料の整理にあたったものとしてこの上のない慶びである。これまでの紹介からもわかるように資料原本は相当に痛みが激しく、公開には適さない状態にあった。そのため、大学図書館で研究資源として公開するためには多額の費用を準備しなければならなかったが、幸い雄松堂出版の協力を得てマイクロフィルム版が完成した。資料の利用にも保存にも考え得る最善の措置がとれたのではないかと考えている。こちらの無理なお願いにご快諾いただいた同社の横山勝行氏、樋口誠氏には、特に記して感謝したい。

 また、資料の整理にあたって、第一次整理では東京大学大学院経済学研究科の同僚粕谷誠助教授、呂寅萬助手(当時・大学院在学)に基礎的な作業をしていただいた。このほか、貴重な意見、助言をいただいた林采成氏(当時・大学院在学、現在・韓国現代経済研究院)、関口かをり氏(当時・三菱史料館、現在・日本銀行金融研究所貨幣博物館)にも、お礼を申し上げておきたい。

 最後に、かさねて、本資料が研究活動に活用されることを心から願っていることを強調しておきたい。解題に関して、ありうべき誤りはすべて筆者の責任である。

 

     2002年9月30

 

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参考資料

英文

OFFICE OF THE SUPREME COMMANDER

FOR THE ALLIED POWERS

A.P.O.500

19 September 1945

MEMO FOR: Central Liason Committee, Japanese Government

SUBJECT: Request for Reports on Industrial, Manufacturing, and Mining companies,

       1. It is requested that each industrial, manufacturing, and mining company in Japan that had a total volume of business of 1,000,000 yen or more in the fiscal year 1944, be required to furnish the information listed on the attached form.

       2. The information should be furnished in English typed on paper eight inches by eleven inches.

                                                R. C. KRAMER

                                                Colonel, GSC

                                                Chief, Economic & Scientific

                                                Section

                -------------------------------------------------------------

REPORT FORM

(Information to be typed on paper size eight by eleven inches)

A. Name

   Location(Number of plants or mines and locations, if more than one)

   General description of company

B. History of company, including date of founding, important developments, mergers or amalgamations, products manufactured at various times. States in this section what branches, subsidiaries, or affiliates the company has outside of Japan. Name also all subsidiaries in Japan and percentage of control.

C. Balance sheet at end of each fiscal year for each year beginning 1930.

  Earning statement for each fiscal year beginning 1930.

D. Names, addresses and business affiliation of all people or companies owing five or more of any class of security outstandings.

E. Number of owners or shareholders.

F. What was volume of production by principal types of products and by value each year beginning 1930.

G. Furnish a statement of the equipment in the plant at present.

H. Furnish a statement of raw, semi-finished and finished goods and of fuel in inventory as of 1 September 1944.

I. Furnish a statement showing:

  1. The items expected to be manufactured.

  2. The quantity of each.

  3. The price in 1940.

  4. The price at which they will be sold.

This information will be furnished within thirty days.